あの頃都江堰にいた: 2001年4月2日(月)

初仕事。

M君と相談した結果、自分が4年生、M君が5年生を担当することに。今日の授業は4年生だけなので、早速出番というわけだ。とりあえず授業は午後からだから少しのんびりしていよう。

5年生の空手の授業を見学しに行った。TさんとI君の二人で教えている。

興味のある生徒とない生徒にきっちり別れてしまっていて、これがこの学校の現状らしい。

Tさんの話を聞くと、4年生も同様だそうだ。どうなることやら。昼食をとってTさん、Nさんと雑談。しばし休憩し授業に挑む。

まずは自己紹介をしてみた。この位は分かるらしい。生徒がどの程度日本語を知っているかを試すだけしかできなかった。

見ていると、やはり興味のある生徒とない生徒と、きれいに別れてしまっている。よくやっている生徒はノートにきちんと日本語も書いてあるし、挨拶もいろいろできる。逆にまったく興味のない生徒は・・・。

現地の先生たちに言わせると、まじめな生徒を中心に進めていいらしい。興味のない生徒は置いていっていい、と。

がんばっている生徒の意気に答えるのは当然だ。では興味のない生徒は?興味がなければ置いていく?

実際彼らがこれから日本語を必要とするかどうか、またこれからも学び続けるかどうかは彼ら自身が決めることだ。現時点で興味がないのだし、自分で選択したのではなく学校のカリキュラムに日本語が入っているからという理由だけなのだから、学校としても置いていって不都合はない。

では、興味のない生徒たちを全く無視して授業を進めることが出来るか。

分からない。小学生の頃、自分は授業に興味がない、勉強が出来ない部類の生徒だった。

授業中前を向いていたことなどほとんどなかったし、宿題もやらなかった。教科書も落書きでいっぱいだった。はっきり言って授業はつまらなかった。

よく先生に叱られたものだった。

そして、今ここでやる気のない生徒たちを見ている。

あの頃の自分が重なって見える。放っておくことなど出来るわけがない。

なんとかしたい。

自分の授業を作り出す。教育実習で教科担任の先生が「君の授業をしなさい」と言った。

あの言葉のおかげで教育実習の2週間は悩みっぱなしだったが、どうやらここでも悩み続けることになりそうだ。

夕方7時から、英語の先生たちが行う英会話レッスンに参加した。英会話というよりもキリスト教の話ばかりだったが。

明日は中国語の授業もあるらしい。なんとか家庭教師を引き受けてくれる先生も探さなければ。

このままでは中国語の会話もままならない。悩みが多い日常になりそうな、そんな予感もするが、ま、なんとかなるだろう!

玩具馬 について

要么好好活着,要么赶紧去死。
カテゴリー: 昔、都江堰にいた パーマリンク

コメントを残す