幸せ者だ。心の底からそう思った。本当に幸せを実感した時に僕は涙を流せるだろうか、以前そんな事を考えたことがあったが、どうやら心配は要らなかったらしい。泣いた。彼らには感謝しなければ。大学生活の中で築いた財産は数あるが、彼らとの出会いこそが一番の財産だと、そう思う。心からそう思う。
この一ヶ月間は、そんな瞬間が多かった。皆が門出を祝福してくれ、そして別れを惜しんでくれた。そのたびに思った。幸せ者だ。空港でのことを思い出すと、今でも泣けてくる。わざわざ空港まで見送りにきてくれた。それぞれ餞別まで用意してくれて。
電話をくれたものもいた。出発前に話ができてよかった。
出発ゲートの前に行く。
「じゃ、行くよ」
その時だった。
涙が出た。本当は少し別れの言葉も考えていた。ちょっぴりカッコつけて、何か景気のいいことでも言ってやろう。そう考えていたが、それどころではなかった。涙ばかりで言葉が一つも出てこない。
たった一つだけ出てきた言葉がある。「ありがとう」。ひたすらその言葉を繰り返すことしかできなかった。これから先、あの時と同じ「ありがとう」を言える瞬間が幾度あるだろうか。あの時「ありがとう」と言えた事を幸せだと思う。
こうして成田を出た。
上海でも、友人たちが迎えにきてくれた。元気そうでよかった。
「楼外楼」という杭州料理店で食事をした。うまかった。久しぶりに本格的な中華料理を食べた。上海では今杭州料理が流行っているらしい。「杭州名菜」と書かれた看板をよく見かけた。いずれぜひ杭州にも行こう。
南京路を散策して、バンドの夜景を見た。上海の夜は明るい。そして華やかだ。ブラブラと歩くだけでも十分楽しい。
気分がいい。この一ヶ月は別れの連続で、少し落ち込み気味だったが、おかげで元気が出た。夏にでもまたゆっくり時間をかけて来ようと思う。
同僚のM君とともにいよいよ成都に向けて出発。上海から飛行機で約三時間。再びしばしの飛行だ。
成都空港では、現地の先生に頼まれていた半畳敷きの「畳」が出てこなかった。係員に尋ねたらすぐに見つかったが、その時畳の説明で少し苦労した。苦し紛れに「タタミ」と言ってみたら、それで通じた。タタミの発音で通じるとは。
迎えに来てくれた先生は著名な画家であるらしい。パンダの絵をよく描く。「パンダの第一人者」と言われているらしい。すぐに都江堰に行くのかと思っていたら、まずは先生の家に一泊、次の日の午後に都江堰に向かうのだそうだ。
成都で一泊し、31日にようやく都江堰に到着。
与えられた部屋は二人部屋。テレビも何もない。どうやら部屋は建設中らしい。
4月5日に完成するとのこと。部屋の様子を見に行くと、6畳程しかない。その中にベッドと机が入る。テレビ、洗濯機、キッチンなどは共有になるようだ。
どうもいきなり聞いていた話とは違うようだが、なかなか面白くなりそうだ。
日曜日なので、とりあえず街に出て買い物をした。街まで出れば一通りのものは揃う。
非常コーラが売っていた。迷わず購入。
夕方、授業の話を聞く。最初の1週間は4時間しか授業がない。なんだそりゃ。
しかもM君と二人でだ。校長先生が不在なので仕方がないらしいが。1週間たてば、もう少し変動があるかも知れない。
明日からいよいよ仕事が始まる。と言っても1時間だけだが。
それでも仕事には変わりない新天地での生活がいよいよ始まろうとしている。
この地で過ごす2年間を、必ず自分の力に変えてみせる。